わくわく夫婦の嫁日記~ただいま世界一周中~

中学校教員夫婦から、世界一周夫婦になった嫁の旅行中の徒然日記

"親日国"と喜ぶ前に~知らなきゃいけない、スリランカへの御恩~

親日国”ってよくいうけれど・・・

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 旅をしていると、”○○(国の名前)は親日国だから、旅しやすい。”とか、”○○人には、日本を好きな人が多い”とか、”僕たちは、日本を尊敬している。”といったことをよく耳にします。とても嬉しく感じる反面、なんで親日なんだろう??と考えてしまいます。というのも、日本全体が、特にどこかの国のことや、国の人達を好きだという感覚を持ったことがないから。”親日国”という言葉はよく聞いても、日本が”親○国”だという意識は、少なくとも私にはありません。”いろいろな国の方に愛していただいている割に、他国に興味のない日本。”最近そう感じることが多いです。

 

いざ、スリランカへ!

 スリランカへ行く前にも、旅のお仲間から”スリランカ親日国だからいいよ!!”というお話をたくさん頂いて、いざ入国!確かに、みなさんシャイながらとっても優しい!そして、”僕たちスリランカ人は日本人が大好きなんだ!!”と話しかけてくれるたくさんの人々。嬉しい反面、やはり”なんで??”と思ってしまいます。

 

スリランカ 親日”でググってみた

 なんでもネットを使えば調べられちゃう便利な時代。気になったことはすぐにググる。”スリランカ 親日”で検索して、とんでもない事実を知らなかった自分をひどく恥じました。

 

今の日本があるのは、スリランカのおかげです

 第二次世界大戦後、日本に対する厳しい制裁や分割占領案などが出されていました。しかし、サンフランシスコ講和会議で、セイロン(現スリランカ)のジャヤワルダナ元大統領(当時は大蔵大臣)が「憎しみを憎しみによってなくなりはしない。ただ、慈悲によってのみなくなる」という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権を放棄することを宣言し、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えたとのこと。これにアジア諸国の多くが続き、日本の分割占領などがなくなったそうなのです。当時の吉田茂首相は「日本は後世まで、この大恩を忘れてはならない」と言ったそうですが、このことを知っている日本人は今どのくらいいるのでしょう。

 

世界の中の日本

 旅をしていると、世界における日本の位置を考えさせられる場面がたくさんあります。特にアジア諸国は、同じアジアの国として日本への関心も高く、出会う人たちとそれぞれの国のことについて話す機会も多かった。日本で生活しているだけでは気づかなかった、日本への感情や、予想外の歓迎に嬉しくも無知な自分を恥ずかしく感じる今日この頃。世界の一員としての日本人という意識は、これから必ず必要になる感覚なんじゃないかなと感じました。

 

インドと日本は仲良しだったのだ!

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日本とインドは仲良しと思ってくれているインド人多し

 私がインドに滞在中、たまたま安倍首相がインドを訪問されていました。インドが日本の援助で作る高速鉄道の着工式への参加のためです。この旅で知り合ったどのインド人からも、“日本とインドは仲良しなんだ。知らないのか??”と言われ、恥ずかしながらしどろもどろになってしまう我々夫婦。確かに、インドのビザを事前申請なしで空港で取れる(アライバルビザ)のは、日本国民だけ。それだけでも、日本とインドの良好な関係がうかがえます。

 

インド人兄さんの考察

 お世話になった宿のお兄さん曰く、“日本とインドの文化は似ている。人や物を敬い、相手に対してのお辞儀やうなずきを忘れない。それは、西洋の文化とは違う僕たちが共通して持っている文化だ。”とのこと。確かに、インドの方たちは私のつたない英語にもしっかりと耳を傾け、うなずきながら聞いてくれます。そして、相手が何を求めているのかに対する察しがとてもいい。言葉の壁はあっても、気持ちが通じやすく、なんだか英語がすごく上達した気持ちにさせられる今日この頃なのです。

 

日本の援助に感謝してくれている人がたくさんいます

 ここでも日本が技術や資金面で力を貸してくれるおかげで発展している、感謝していると言われ、やはりそんなことは知らない私たちは、なんとなく“It’s my pleasure.”なんて言って笑ってみる。今回の安倍首相の訪印も生中継で大々的に報じられていて、たまたま入ったお店で従業員の方たちとテレビを囲んで、“日本のテクノロジーはすげぇ!ありがとう!!”なんて言われながら楽しいひと時を過ごしました。日本のことをこんなに良く思ってくれている人たちが世界にはたくさんいることを嬉しく思う反面、なぜそんなに良く思ってくれているのかを私たちはもっと知るべきだと強く感じました。日本からの援助を、人だけでなく物を大切に扱うことを自然とする日本の風土を素晴らしいと思ってくれている人たちが世界にはたくさんいます。一方で、日本全体は世界基準に合わせる方向へ向かっているような気がします。世界の街中での、素朴だけれど温かい日本全体への評価を知らずに成長のかじを切る私たちは、その過程で大事な何かを捨ててしまうのではないかと思ってしまいました。

インド人女性のおしゃれ魂

自分に似合うものを知っている人々

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 インドの伝統衣装サリーとパンジャビ。どちらも色鮮やかで、インド人女性にとてもよく似合っています。洋服を身に着けている女性も少なくありませんが、街中の半数以上の女性は日常でサリーやパンジャビを着ています。そして、ほとんどの女性がピアスはもちろんアンクレットやブレスレットを身につけて、本当に華やか。しかも、裕福だから着飾っているということでもなく、ステキな装いをしているなと思った女性から喜捨を求められて、驚いたこともあります。

最後に着物を着たのはいつだったか…。

 とにかく街に出れば、インド人女性のおしゃれ魂を見せつけられます。

もしかすると、女性に対して保守的な考えが強いからこその、日々の美しい装いなのかもしれません。けれども、伝統的な服装を守り、美しい着こなしで街を闊歩する女性たちの姿は私の目にとてもステキに写ります。ちなみに、とてもシンプルでありながら、パンジャビ制服を着た子供たちの登下校姿もよく目にします。

 

 きっとサリーやパンジャビを着たことのないインド人女性はいないんじゃないかな。でも、着物を着たことのない日本人女性はきっといるだろう。手軽さが違うので、容易に比較はできないとは思いますが、古来からの伝統が日常生活に息づいているインドの風景を少し羨ましく見てしまいます。

機能重視もいいけれど・・・

 今は、より機能的、よりシンプルを追求する時代。服装も動きやすさや機能性を重視した商品がたくさん出ています。旅に出ている身として、私も服に”動きやすい”とか”軽い”を求めてしまいがち。けれど、インドの女性たちの堂々としてきらびやかな様子は、どんな時も”美”を忘れない姿勢を見せつけられます。年を重ねても、どんなに忙しくても、それを言い訳に自分を手放してはいけないよ言われたような気がしました。

インドは教え合いにあふれてる~田舎町のATMにて~

フレンドリーとはこういうこと!

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 インド人は本当にフレンドリーで優しい。旅行中、困ったことは山ほどありますが、そのたびに必ず誰かが助けてくれます。遠慮と無縁、人との心の距離も、実際の距離感も本当に近いインドの人たち。おせっかいと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、そんなおせっかいを初めて出会う異国の民に発揮できるのは、やはりフレンドリーとしか言いようがありません。

ATMでも優しさにあふれている。

 特に、ATMでは、そのインドらしさが引き立ちます。インドのATMでは、機械の中のお金が足りずに引き出せないこともよくあります。よって、機能している所はたいていどこも人であふれかえっています。おじさんたちがATMの周りをぐるっと囲んで、なんだかんだと言いながらみんなでお金を引き出している様は、個人情報保護なんて言葉とは無縁の光景。私もちゃっかり囲まれ、教えてもらいながらお金を引き出してしまいました。というか、勝手に囲み、勝手に教えてくれる優しいおじさんたち。本当は、もっと気を付けないといけないんでしょうけどね…。

そんなインドのATMあるある

その1 なぜか言語選択ではヒンディーでなく英語を選ぶ。

 方言とかがあってヒンディーだと余計にわかりにくいのでしょうか?なぜかみな英語を選んでいました。なぜそれが分かるのか?前に5,6人くらい人がいても、画面が普通に見えちゃう距離で待っているのです。

 

その2 暗証番号バレバレ…。

 暗証番号はつぶやきながら入力、または紙に書いているのを囲っているおじさんの誰かが音読してあげる。暗証番号の意味…。ちなみに、数字は英語で数える方がわかりやすいのか、だいたいの人がone ,two…なんてつぶやいていました。旅行者にもばればれです。

 

その3 1人が何回もATMいじりがち。

 東南アジアのATMはだいたいそうですが、1回に取引できる金額が少なく、1人が何回も取引をしがち。インドの場合、10,000ルピー(約1万7000円)が最高額でした。ゆえに余計混雑。時間がかかる上、どんどん前へ詰めてくるので、暑さも倍増…。

 

 わからないことは、人に聞くのが普通。聞かれた人も答えるのが普通。困ったら、人を頼るのが普通。故に、助けるのが普通。無表情で、唐突に優しく助けてくれるインド人。彼らにとっては当たり前のこと過ぎて、わざわざ表情を変えてするようなことではないのでしょう。”ありがとう!”と言っても、大したことないと、これまた無表情にうなずきます。(インドの人たちのうなずきは、なぜか首をかしげるような仕草なので、一瞬何か悪いことをしたのかなと思ってしまうのですが…。)この”助けるのが当然”という文化が、人との距離をせばめ、フレンドリーで素朴な国民性を育てているのかなと感じました。きっと、私にしたらすごく親切なことも、彼らにとったら本当にただただ当たり前のことをしているにすぎないのかもしれません。それってとても素敵なことで、いつかその境地までたどり着きたいと思いました。

 

名もなき蓮池を眺め想う~ベトナム、ハノイにて~

私の1番好きな花

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それは蓮の花です。

蓮の花が泥水から伸び出でて、

強く、美しく咲いている姿を見るのが好きです。

 

蓮の花はよく、

”泥(でい)より出でて、泥(でい)に染まらず”

と表現されます。

 

蓮は泥水の中で育ちます。

泥が濃ければ濃いほど、その花は大きく美しく咲き誇ります。

 

泥の中から出てくるにも関わらず、

その葉や花は泥にまみれることなく美しい。

蓮には、泥水をはねのける自浄の力があります。

 

思い出す10代の出来事

ある日、とても人気のあるバンドが活動を休止しました。

理由はよくあるゴシップ。

 

そのバンドの楽曲は純粋な恋心を歌ったものが多く、

若者に特に人気で、私の周囲にも激震が走りました。

 

活動が再開し、新しい楽曲が発表されたとき、

大ファンだった友人が

”もう素直な気持ちで聴けない…。”

と嘆きました。

その時、私はよくわからない違和感を覚え

もやもやしました。

 

何かと考え込みがちな10代の私。

その日からこのもやもやと向き合い続け、

とりあえずの答えにたどり着きました。

 

”汚れたり、傷ついたりした先に、それでも残る純粋さこそ、

本当のピュアなんじゃない??”

と。

 

蓮の花がまさに表現するもの

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時がたち、蓮を表すあの表現と出会い、

私が感じたあの時の気持ちは、まさにこれだと思いました。

 

劣等感だったり、

自分の道に迷い、選択に自信が持てなくて

これでいいのかとふさぎ込んだり…。

いい歳をして、未だに自問自答の日々です。

 

それでも蓮の花を見ると

悩むときは思い切り悩み、

汚れるときはとことん汚れ、

それでも自分の真実を見つけ出し、

その道をまっすぐ進めばよいと

言われている気持ちになります。

 

私は時に人を傷つけ、期待を裏切り、

自分本位な選択をしてきました。

 

人は生きているだけで、何かと人を傷つけます。

1人として同じ人はいないから。

期待に応え続け、誰一人傷つけずに生きていくなんて土台無理な話。

そして、誰かを傷つければ少なからず自分も傷つきます。

 

それでも生きている

もちろん私たちは、今を生きています。

まっすぐ前を見て。

それでいいのだと思います。

 

自分に正直に、誠実に。

例え、泥の中にあっても、

その泥をかき分け、超えた先に

人は美しい花を咲かせることができます。

 

泥より出でた蓮の花。

 

泥にまみれても染まることなく

何事もなかったようにしなやかに咲く蓮の花。

これこそが、真の美しさだと思います。

 

*文中に出てきたバンドは、今でも大人気。

 本物は、本物ということですね。

 

 

今を生きる教育がしたい!

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”学校の勉強は知識を詰め込むだけだから…”

 タイ人の友達と英語の勉強についての話をしていて、彼女が苦笑いを浮かべながら最終的に言ったセリフ。その言葉と表情に私はドキリとしました。

 

 私たち夫婦が彼女と出会ったのはフィリピン。お互い1か月の英語留学をしているときです。彼女は地元で日本の企業に勤めていて、仕事上英語が必要との理由で留学していました。

 

 バンコクで再会し、1日かけてたくさんの場所へ連れて行ってくれた優しい友人。その日の終わり、夕飯を共にしているときに至った教育の話。タイも日本と同じく小学校6,中学校(前期中等教育)3,高校(後期中等教育)3年。その後、大学、大学院と続くそうです。

 

義務教育はというと、これまた日本と同じく小学校と中学校(1999年までは小学校のみ)。英語教育は、彼女が学生だったときは公立学校では小学校5年生から、私立の学校ではもっと早くから始まっているとのことでした。

(現在は、小学校1年生より英語が必修。日本と同様、英語教育改革に力を入れているようです。)

 

”義務教育”で学習している英語が使えない…。 

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 タイに来て感じたのは、他の東南アジア諸国より英語を話す若者が少ないということ。フィリピンはもちろん、インドネシアカンボジアでは、若者が積極的に英語を使っている姿がよく見られました。カンボジアの小さな島では、子供たちが英語で接客したり説明している横で大人がとてもステキな笑顔で微笑んでくれている…なんて光景も。国をあげて、英語教育に力を入れて、その成果が若者に出ているのを強く感じました。

 

 一方、タイはまだバンコクしか訪れていませんが、他の国よりも圧倒的に都会でありながら、タイ語でしか書かれていない道路標識、お店のメニュー、まったく英語の通じない人の数も圧倒的に多い。”英語はちょっと無理かな~…。”といった雰囲気をまとって、控えめな笑顔で接客してくれる様子はまさに日本。地元に向けた市場が他のアジア諸国に比べると豊かで、それでやっていける場所も多いのかもしれません。でも、長年学校教育で学んでいる英語が使えないなんて、やっぱりおかしいいと思うのは私だけでしょうか??

 

世界は変わる。教育も変わらなきゃ!

 SNSは日々進化し、今や誰もが物理的な距離をより簡単に乗り越えられる時代です。どこにいてもこうやってブログを書くことができるし、メッセージのやり取りは一瞬にして可能です。おかげで、私たちも彼女と簡単に再会を果たすことができました。

 

 そんな時代にあって、教育はどうあるべきかを考えさせられたのが彼女の一言。私たちは知りたいと思ったことは、なんでも簡単に調べることができます。知識は頭の中に詰め込まなくても、スマホ1つあれば十分。SNSを使えば、世界中から仲間を集めることができます。時代は確実にそして急速に変わっています。そんな時代の変化に教育は、教育者は、私はついていけるのか??そう問われているような気持ちになりました。

 

 タイと日本。国は違えど、“学校で教わったこと=使えない知識の塊”と感じている人がいるという事実。対して、”学校”は文句なしに楽しく、かけがえのない経験を得られる場所であるという確信。どうすれば、学校がもっと人々の人生に強く、長く寄り添える存在になれるのか??想像は自由。いろいろと考え、想像し、ワクワクしている今日この頃。今は、アイディアをストック中です。

”日常”って?~一歩踏み出す勇気~

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こんにちは

ワクワク夫婦、嫁の方keruです。

 

フィリピン、ダバオ市で3週目を迎え、

学校に慣れ、人に慣れ、街や建物に慣れ…。

今の私の日常はここにあります。

 

私の場合、1週間も同じ場所にいれば、

どうやらそれを”日常”と感じるようで、

5月にいた場所は、懐かしく、

4月にいた場所は、夢のよう。

3月まで仕事をしていたなんて、

今ではちょっと信じられません。

本当に、中学教師だった自分は存在したのかな??

そんな風にも思ったりしますが、

私の大切な時間たちは、

確実に今の私の中にしっかりと根付いています。

 

ちょっと話がそれてしまいましたが、

要は、人が日常を感じるのは、

その環境に慣れているからで、

環境に慣れるのは、時間の問題だということ。

 

”日常を捨てるのが怖い”

そんな想いで、やりたいことをあきらめるのは

どう考えてももったいない。

自分の想いが向かう場所へ飛び込めば、

そこはあなたの”日常”になります。

 

他人の日常が、自分の日常と違い、驚き、

”私にはできない”

と思うこともあるかもしれませんが、

そこに身を置けば、いつの間にか

日常はちゃんと目の前に落ち着いてくれるのです。

 

勇気をもってはじめの一歩を踏み出した人の

次の一歩は少し楽なはず。

なぜなら、

一歩を踏み出せば、そこに”日常”が生まれる

ということを知っているから。

 

”日常”って不思議です。

でも、それは私たちに与えられた

すばらしい能力の1つなのだと思います。