言葉と自信 ~“私は気持ちを伝えられる”という自信~
“コミュニケーションを楽しめない。”
ここ最近、よく思うことの1つ。
初対面の人とも比較的うまく話し、
人付き合いやおしゃべりは大好きです。
日本では。というか日本語では。
“相手の言っていることがわかる。
相手に自分の思いを伝えられる”
という自信があれば、
人はコミュニケーションを
楽しむことができます。
一方、
“相手の言うことを理解できないかもしれない。自分の言いたいことは伝わるだろうか”
と思っている人にとっては、
コミュニケーションはどうしたって
気の進まないものになりますよね。
母語だろうが、異国の言葉であろうが、それを操れるかどうかは、
それまでの経験によります。
例え母語であっても、
話すのが苦手であれば、
“相手に思いを伝える”ということに
不安が出てくるので、
引っ込み思案になりがちです。
内弁慶という言葉があるように、
親しい相手に対しては積極的に
コミュニケーションが取れるのに、
親しくない人に対して上手に関係を築くことができないことがあります。
これはまさに、
分かり合えると思えるかどうかが、
行動に影響を与えているからではないでしょうか。
“英語でコミュニケーションが取れる。”というのは、
人間関係において1つの自信になります。
もちろん日本に住んでいるから日本語だけで十分と考えることもできます。
しかし、東京オリンピックを控え、
日本国内においても海外からの旅行者や就労者が増えるのは明らか。
道を尋ねられたら、
ともに働くことになったら…。
英語ができるという1点は、
とても大きな自信になるはずです。
もちろん、言葉が通じなくても何とかなる場面はたくさんあります。
“言葉を超えたコミュニケーション”
といえば聞こえはいいですが、
やはり限界があります。
日常的に心を通わすため、互いに共通して使うことのできる言語は必須であり、
英語は間違いなく世界の共通言語に最も近い言葉です。
しかし、現在の日本の学校教育で英語を使いこなすようになれるかというと、
これまた難しい。
小学校での英語科が必修となり、
高校までを含めると10年間学習するにも関わらず、
英語に対して自信が持てないのは、
なんだかとてももったいない。
かくいう私も上手に英語を操れない日本人の1人です。
一方、周囲を見渡してみると、
みな流暢に英語を操ります。
“英語が母語でない人も”です。
友人同士で話しているときは、
様々な言語が飛び交いますが、
みんなで話をする時には、すぐに英語に切り替えてすらすらと話をするのです。
日本の英語教育のゴールはここにあると思います。
母語のようには無理だとしても、
10年あれば、
“相手の言っていることはわかる。
自分の思いはある程度伝えられる”
というレベルにまで高めるのは可能ではないでしょうか。
そんなことを思いながら、
この問題を考えるために注目すべく3つの観点をまとめてみました。
① 母語が英語でなくても、多くの人がネイティブのように話せるのはなぜか。
→日本人以外で英語が苦手な人もいる。英語教育をしっかりと受けた人が旅行をしているのか
それとも海外の英語教育が優れているのか。
② ネイティブのように話せる人たちは、どのように英語を習得したか。
③ 日本の英語教育に落とし込むためにはどうすればいいか。
①、②はとにかくいろんな人に尋ねないと答えは見つかりません。
国によって事情は違うでしょうし、人によって答えも違うはずです。
これから出会う人にできるだけ聞いて、まとめ、自分なりの答えを見つけていきます。
英語ができるからといって、すべてがうまくいくわけではありません。
言語は1つの手段であり、それを使って、どこで、何をするかが大切です。
しかし、人は決して1人で何かを成すことはできません。
人と人とがつながり、力を出し合って世界は動いています。
そのための手段は1つでも多く持っていたほうがいい。
“英語”は間違いなく自分のフィールドを広げる大きな大きな武器の1つです。