わくわく夫婦の嫁日記~ただいま世界一周中~

中学校教員夫婦から、世界一周夫婦になった嫁の旅行中の徒然日記

インド人女性のおしゃれ魂

自分に似合うものを知っている人々

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 インドの伝統衣装サリーとパンジャビ。どちらも色鮮やかで、インド人女性にとてもよく似合っています。洋服を身に着けている女性も少なくありませんが、街中の半数以上の女性は日常でサリーやパンジャビを着ています。そして、ほとんどの女性がピアスはもちろんアンクレットやブレスレットを身につけて、本当に華やか。しかも、裕福だから着飾っているということでもなく、ステキな装いをしているなと思った女性から喜捨を求められて、驚いたこともあります。

最後に着物を着たのはいつだったか…。

 とにかく街に出れば、インド人女性のおしゃれ魂を見せつけられます。

もしかすると、女性に対して保守的な考えが強いからこその、日々の美しい装いなのかもしれません。けれども、伝統的な服装を守り、美しい着こなしで街を闊歩する女性たちの姿は私の目にとてもステキに写ります。ちなみに、とてもシンプルでありながら、パンジャビ制服を着た子供たちの登下校姿もよく目にします。

 

 きっとサリーやパンジャビを着たことのないインド人女性はいないんじゃないかな。でも、着物を着たことのない日本人女性はきっといるだろう。手軽さが違うので、容易に比較はできないとは思いますが、古来からの伝統が日常生活に息づいているインドの風景を少し羨ましく見てしまいます。

機能重視もいいけれど・・・

 今は、より機能的、よりシンプルを追求する時代。服装も動きやすさや機能性を重視した商品がたくさん出ています。旅に出ている身として、私も服に”動きやすい”とか”軽い”を求めてしまいがち。けれど、インドの女性たちの堂々としてきらびやかな様子は、どんな時も”美”を忘れない姿勢を見せつけられます。年を重ねても、どんなに忙しくても、それを言い訳に自分を手放してはいけないよ言われたような気がしました。

インドは教え合いにあふれてる~田舎町のATMにて~

フレンドリーとはこういうこと!

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 インド人は本当にフレンドリーで優しい。旅行中、困ったことは山ほどありますが、そのたびに必ず誰かが助けてくれます。遠慮と無縁、人との心の距離も、実際の距離感も本当に近いインドの人たち。おせっかいと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、そんなおせっかいを初めて出会う異国の民に発揮できるのは、やはりフレンドリーとしか言いようがありません。

ATMでも優しさにあふれている。

 特に、ATMでは、そのインドらしさが引き立ちます。インドのATMでは、機械の中のお金が足りずに引き出せないこともよくあります。よって、機能している所はたいていどこも人であふれかえっています。おじさんたちがATMの周りをぐるっと囲んで、なんだかんだと言いながらみんなでお金を引き出している様は、個人情報保護なんて言葉とは無縁の光景。私もちゃっかり囲まれ、教えてもらいながらお金を引き出してしまいました。というか、勝手に囲み、勝手に教えてくれる優しいおじさんたち。本当は、もっと気を付けないといけないんでしょうけどね…。

そんなインドのATMあるある

その1 なぜか言語選択ではヒンディーでなく英語を選ぶ。

 方言とかがあってヒンディーだと余計にわかりにくいのでしょうか?なぜかみな英語を選んでいました。なぜそれが分かるのか?前に5,6人くらい人がいても、画面が普通に見えちゃう距離で待っているのです。

 

その2 暗証番号バレバレ…。

 暗証番号はつぶやきながら入力、または紙に書いているのを囲っているおじさんの誰かが音読してあげる。暗証番号の意味…。ちなみに、数字は英語で数える方がわかりやすいのか、だいたいの人がone ,two…なんてつぶやいていました。旅行者にもばればれです。

 

その3 1人が何回もATMいじりがち。

 東南アジアのATMはだいたいそうですが、1回に取引できる金額が少なく、1人が何回も取引をしがち。インドの場合、10,000ルピー(約1万7000円)が最高額でした。ゆえに余計混雑。時間がかかる上、どんどん前へ詰めてくるので、暑さも倍増…。

 

 わからないことは、人に聞くのが普通。聞かれた人も答えるのが普通。困ったら、人を頼るのが普通。故に、助けるのが普通。無表情で、唐突に優しく助けてくれるインド人。彼らにとっては当たり前のこと過ぎて、わざわざ表情を変えてするようなことではないのでしょう。”ありがとう!”と言っても、大したことないと、これまた無表情にうなずきます。(インドの人たちのうなずきは、なぜか首をかしげるような仕草なので、一瞬何か悪いことをしたのかなと思ってしまうのですが…。)この”助けるのが当然”という文化が、人との距離をせばめ、フレンドリーで素朴な国民性を育てているのかなと感じました。きっと、私にしたらすごく親切なことも、彼らにとったら本当にただただ当たり前のことをしているにすぎないのかもしれません。それってとても素敵なことで、いつかその境地までたどり着きたいと思いました。

 

名もなき蓮池を眺め想う~ベトナム、ハノイにて~

私の1番好きな花

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それは蓮の花です。

蓮の花が泥水から伸び出でて、

強く、美しく咲いている姿を見るのが好きです。

 

蓮の花はよく、

”泥(でい)より出でて、泥(でい)に染まらず”

と表現されます。

 

蓮は泥水の中で育ちます。

泥が濃ければ濃いほど、その花は大きく美しく咲き誇ります。

 

泥の中から出てくるにも関わらず、

その葉や花は泥にまみれることなく美しい。

蓮には、泥水をはねのける自浄の力があります。

 

思い出す10代の出来事

ある日、とても人気のあるバンドが活動を休止しました。

理由はよくあるゴシップ。

 

そのバンドの楽曲は純粋な恋心を歌ったものが多く、

若者に特に人気で、私の周囲にも激震が走りました。

 

活動が再開し、新しい楽曲が発表されたとき、

大ファンだった友人が

”もう素直な気持ちで聴けない…。”

と嘆きました。

その時、私はよくわからない違和感を覚え

もやもやしました。

 

何かと考え込みがちな10代の私。

その日からこのもやもやと向き合い続け、

とりあえずの答えにたどり着きました。

 

”汚れたり、傷ついたりした先に、それでも残る純粋さこそ、

本当のピュアなんじゃない??”

と。

 

蓮の花がまさに表現するもの

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時がたち、蓮を表すあの表現と出会い、

私が感じたあの時の気持ちは、まさにこれだと思いました。

 

劣等感だったり、

自分の道に迷い、選択に自信が持てなくて

これでいいのかとふさぎ込んだり…。

いい歳をして、未だに自問自答の日々です。

 

それでも蓮の花を見ると

悩むときは思い切り悩み、

汚れるときはとことん汚れ、

それでも自分の真実を見つけ出し、

その道をまっすぐ進めばよいと

言われている気持ちになります。

 

私は時に人を傷つけ、期待を裏切り、

自分本位な選択をしてきました。

 

人は生きているだけで、何かと人を傷つけます。

1人として同じ人はいないから。

期待に応え続け、誰一人傷つけずに生きていくなんて土台無理な話。

そして、誰かを傷つければ少なからず自分も傷つきます。

 

それでも生きている

もちろん私たちは、今を生きています。

まっすぐ前を見て。

それでいいのだと思います。

 

自分に正直に、誠実に。

例え、泥の中にあっても、

その泥をかき分け、超えた先に

人は美しい花を咲かせることができます。

 

泥より出でた蓮の花。

 

泥にまみれても染まることなく

何事もなかったようにしなやかに咲く蓮の花。

これこそが、真の美しさだと思います。

 

*文中に出てきたバンドは、今でも大人気。

 本物は、本物ということですね。

 

 

今を生きる教育がしたい!

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”学校の勉強は知識を詰め込むだけだから…”

 タイ人の友達と英語の勉強についての話をしていて、彼女が苦笑いを浮かべながら最終的に言ったセリフ。その言葉と表情に私はドキリとしました。

 

 私たち夫婦が彼女と出会ったのはフィリピン。お互い1か月の英語留学をしているときです。彼女は地元で日本の企業に勤めていて、仕事上英語が必要との理由で留学していました。

 

 バンコクで再会し、1日かけてたくさんの場所へ連れて行ってくれた優しい友人。その日の終わり、夕飯を共にしているときに至った教育の話。タイも日本と同じく小学校6,中学校(前期中等教育)3,高校(後期中等教育)3年。その後、大学、大学院と続くそうです。

 

義務教育はというと、これまた日本と同じく小学校と中学校(1999年までは小学校のみ)。英語教育は、彼女が学生だったときは公立学校では小学校5年生から、私立の学校ではもっと早くから始まっているとのことでした。

(現在は、小学校1年生より英語が必修。日本と同様、英語教育改革に力を入れているようです。)

 

”義務教育”で学習している英語が使えない…。 

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 タイに来て感じたのは、他の東南アジア諸国より英語を話す若者が少ないということ。フィリピンはもちろん、インドネシアカンボジアでは、若者が積極的に英語を使っている姿がよく見られました。カンボジアの小さな島では、子供たちが英語で接客したり説明している横で大人がとてもステキな笑顔で微笑んでくれている…なんて光景も。国をあげて、英語教育に力を入れて、その成果が若者に出ているのを強く感じました。

 

 一方、タイはまだバンコクしか訪れていませんが、他の国よりも圧倒的に都会でありながら、タイ語でしか書かれていない道路標識、お店のメニュー、まったく英語の通じない人の数も圧倒的に多い。”英語はちょっと無理かな~…。”といった雰囲気をまとって、控えめな笑顔で接客してくれる様子はまさに日本。地元に向けた市場が他のアジア諸国に比べると豊かで、それでやっていける場所も多いのかもしれません。でも、長年学校教育で学んでいる英語が使えないなんて、やっぱりおかしいいと思うのは私だけでしょうか??

 

世界は変わる。教育も変わらなきゃ!

 SNSは日々進化し、今や誰もが物理的な距離をより簡単に乗り越えられる時代です。どこにいてもこうやってブログを書くことができるし、メッセージのやり取りは一瞬にして可能です。おかげで、私たちも彼女と簡単に再会を果たすことができました。

 

 そんな時代にあって、教育はどうあるべきかを考えさせられたのが彼女の一言。私たちは知りたいと思ったことは、なんでも簡単に調べることができます。知識は頭の中に詰め込まなくても、スマホ1つあれば十分。SNSを使えば、世界中から仲間を集めることができます。時代は確実にそして急速に変わっています。そんな時代の変化に教育は、教育者は、私はついていけるのか??そう問われているような気持ちになりました。

 

 タイと日本。国は違えど、“学校で教わったこと=使えない知識の塊”と感じている人がいるという事実。対して、”学校”は文句なしに楽しく、かけがえのない経験を得られる場所であるという確信。どうすれば、学校がもっと人々の人生に強く、長く寄り添える存在になれるのか??想像は自由。いろいろと考え、想像し、ワクワクしている今日この頃。今は、アイディアをストック中です。

”日常”って?~一歩踏み出す勇気~

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こんにちは

ワクワク夫婦、嫁の方keruです。

 

フィリピン、ダバオ市で3週目を迎え、

学校に慣れ、人に慣れ、街や建物に慣れ…。

今の私の日常はここにあります。

 

私の場合、1週間も同じ場所にいれば、

どうやらそれを”日常”と感じるようで、

5月にいた場所は、懐かしく、

4月にいた場所は、夢のよう。

3月まで仕事をしていたなんて、

今ではちょっと信じられません。

本当に、中学教師だった自分は存在したのかな??

そんな風にも思ったりしますが、

私の大切な時間たちは、

確実に今の私の中にしっかりと根付いています。

 

ちょっと話がそれてしまいましたが、

要は、人が日常を感じるのは、

その環境に慣れているからで、

環境に慣れるのは、時間の問題だということ。

 

”日常を捨てるのが怖い”

そんな想いで、やりたいことをあきらめるのは

どう考えてももったいない。

自分の想いが向かう場所へ飛び込めば、

そこはあなたの”日常”になります。

 

他人の日常が、自分の日常と違い、驚き、

”私にはできない”

と思うこともあるかもしれませんが、

そこに身を置けば、いつの間にか

日常はちゃんと目の前に落ち着いてくれるのです。

 

勇気をもってはじめの一歩を踏み出した人の

次の一歩は少し楽なはず。

なぜなら、

一歩を踏み出せば、そこに”日常”が生まれる

ということを知っているから。

 

”日常”って不思議です。

でも、それは私たちに与えられた

すばらしい能力の1つなのだと思います。

学び続ける心~ちっぽけなんて存在しない~

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 フィリピンで英語留学中のワクワク夫婦。

嫁のほう、keruです。

 

留学2週目が終わろうとしていますが、

先生方は、みな優しくフレンドリー。

それでいて、みなさん”学ぶ”ということに

それぞれの考えがあり、はっきりとした

ビジョンを持って授業をしてくださいます。

 

担当していただいている先生の中に、

小学校の先生、秘書を経て現在の仕事に

たどり着いた方がいらっしゃいます。

 

彼女によると、フィリピンの小学校は

1クラス60人の7時間授業!

さらに雑務もあり、子供や

教えることは好きだけれども、

手に負えなかったと振り返る彼女。

教師の苦労ポイントは万国共通なのかなぁと

妙に共感してしまいました。

 

授業初日、笑顔でブースに現れた彼女は開口一番

「授業は明日から。今日はお互いを知る日。」

と。

好きなことや家族、仕事のことなど

たくさんの話をしました。

 

その日の最後に、彼女が言ったこと。

”I am a teacher.But I am also a leaner.”

わからないことがあったら

なんでも質問してほしいし、

わからないことがあるのが普通。

私もたくさん知らないことがある。

だから人の話を聞いたり、

アドバイスを受けたりするのが好き。

 

年齢や立場に関係なく、

私たちはどんな人からでも

たくさん学ぶことができます。

それは例えば、教師、生徒という出会ったときの

立ち位置とは関係のないもの。

片方が、もう片方に教えるだけの関係なんて、

実は存在しないのです。

 

とてもシンプルなことですが、

実は忘れがちなこの気持ち。

それをストレートに表現した言葉が

とても気に入りました。

 

私たちはいつだって、影響しあって

生きています。

影響は与えるだけでも、受けるだけでもなく

し合うもの。

 

自分はちっぽけな存在だと思っている人も、

実は必ず誰かに影響を与えている。

だから本当は、誰しもが自分に自信を持ち、

相手を尊敬して生きていける。

 

教えたり、習ったりする立場にない人も、

みな

”I am a teacher.But I am also a leaner.”

です。

 

私も教員時代、子供たちや周りの先生方から

たくさんのことを教えていただきました。

それは、言葉ではなく、感じるもの。

毎日を共に過ごす中で、新しい発見があったり、

漠然とした考えがクリアになったり。

 

自分の心が開いていれば、過ぎてゆく時間の

一瞬、一瞬がまさに学びの連続です。

 

きっと誰しもが、今日もたくさんの人に

影響を与えたに違いありません。

そして、出会ったすべての人から

影響を受けたことでしょう。

 

そこに中に必ずある学びの種を

1つでも多く芽吹かせたいものです。

相手の希望に寄り添う=サービス ~観光産業の発展と、地域還元を考える~

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海外でのダイビング。

海の中では、会話はできないので

それほどこだわらなくてもいいかと思うのですが、

インターネットで申し込む故、結局、

日本語で書かれたダイブショップのページを見つける

→日本人の方が経営しているダイブショップに申し込む

→日本人のインストラクターさんがつく

というパターンがほとんどでした。

 

今回バリでも同様に、

日本語のページを見つけ、そこから申し込みました。

お迎えが来て、手続きのためダイブショップへ。

??日本人がいない??

書類こそ、日本語で書かれたものですが、

すべて現地の方でお送りされていて、

インストラクターさんも現地の方。

 

ポイントへ移動して、周りを見ると、

ダイバーは海外からの観光客であろう人たち。

けれど、インストラクターさんはじめ、

働いているのはすべて地元の方々です。

 

今までと違う珍しい光景ですが、

とても丁寧にガイドをしていただき、

存分に楽しむことができました。

1本目のあと、泳ぎ方のアドバイスまでしてくださって、

スキルアップもできたような(^-^)

 

話はそれましたが…。

その国の発展や雇用を促進するのに、

観光地に他国の企業が入り、開拓していくのは

1つの手段として、よいことだと思います。

(もちろん、環境保全とかいろいろ問題はあるのでしょうが。)

そして、その経営が最終的に現地の方々中心で

行われれば、さらなる発展につながるのかな

と感じました。

 

特にインストラクターは、ダイビングの要です。

日本で生まれ育った人たちの望むサービスは

同じく、日本で生まれ育った人たちが

一番よく分かっている。

それを、現地の人に伝え、実践してもらうのは

きっと多大な労力がかかる上、

うまくいかないことも多いでしょう。

文化の違いを知り、歩み寄る作業は、

想像以上に困難なはずです。

バリの人たちは柔軟で、

比較的容易に、相手の希望に寄り添えるのかもしれません。

 

文化や考え方の違いを乗り越え、

地域雇用が促進することは、

互いの理解を深め、

より一層友好な関係を築ける一歩となる

と言ってしまうと、大げさでしょうか。