わくわく夫婦の嫁日記~ただいま世界一周中~

中学校教員夫婦から、世界一周夫婦になった嫁の旅行中の徒然日記

今を生きる教育がしたい!

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”学校の勉強は知識を詰め込むだけだから…”

 タイ人の友達と英語の勉強についての話をしていて、彼女が苦笑いを浮かべながら最終的に言ったセリフ。その言葉と表情に私はドキリとしました。

 

 私たち夫婦が彼女と出会ったのはフィリピン。お互い1か月の英語留学をしているときです。彼女は地元で日本の企業に勤めていて、仕事上英語が必要との理由で留学していました。

 

 バンコクで再会し、1日かけてたくさんの場所へ連れて行ってくれた優しい友人。その日の終わり、夕飯を共にしているときに至った教育の話。タイも日本と同じく小学校6,中学校(前期中等教育)3,高校(後期中等教育)3年。その後、大学、大学院と続くそうです。

 

義務教育はというと、これまた日本と同じく小学校と中学校(1999年までは小学校のみ)。英語教育は、彼女が学生だったときは公立学校では小学校5年生から、私立の学校ではもっと早くから始まっているとのことでした。

(現在は、小学校1年生より英語が必修。日本と同様、英語教育改革に力を入れているようです。)

 

”義務教育”で学習している英語が使えない…。 

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 タイに来て感じたのは、他の東南アジア諸国より英語を話す若者が少ないということ。フィリピンはもちろん、インドネシアカンボジアでは、若者が積極的に英語を使っている姿がよく見られました。カンボジアの小さな島では、子供たちが英語で接客したり説明している横で大人がとてもステキな笑顔で微笑んでくれている…なんて光景も。国をあげて、英語教育に力を入れて、その成果が若者に出ているのを強く感じました。

 

 一方、タイはまだバンコクしか訪れていませんが、他の国よりも圧倒的に都会でありながら、タイ語でしか書かれていない道路標識、お店のメニュー、まったく英語の通じない人の数も圧倒的に多い。”英語はちょっと無理かな~…。”といった雰囲気をまとって、控えめな笑顔で接客してくれる様子はまさに日本。地元に向けた市場が他のアジア諸国に比べると豊かで、それでやっていける場所も多いのかもしれません。でも、長年学校教育で学んでいる英語が使えないなんて、やっぱりおかしいいと思うのは私だけでしょうか??

 

世界は変わる。教育も変わらなきゃ!

 SNSは日々進化し、今や誰もが物理的な距離をより簡単に乗り越えられる時代です。どこにいてもこうやってブログを書くことができるし、メッセージのやり取りは一瞬にして可能です。おかげで、私たちも彼女と簡単に再会を果たすことができました。

 

 そんな時代にあって、教育はどうあるべきかを考えさせられたのが彼女の一言。私たちは知りたいと思ったことは、なんでも簡単に調べることができます。知識は頭の中に詰め込まなくても、スマホ1つあれば十分。SNSを使えば、世界中から仲間を集めることができます。時代は確実にそして急速に変わっています。そんな時代の変化に教育は、教育者は、私はついていけるのか??そう問われているような気持ちになりました。

 

 タイと日本。国は違えど、“学校で教わったこと=使えない知識の塊”と感じている人がいるという事実。対して、”学校”は文句なしに楽しく、かけがえのない経験を得られる場所であるという確信。どうすれば、学校がもっと人々の人生に強く、長く寄り添える存在になれるのか??想像は自由。いろいろと考え、想像し、ワクワクしている今日この頃。今は、アイディアをストック中です。

”日常”って?~一歩踏み出す勇気~

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こんにちは

ワクワク夫婦、嫁の方keruです。

 

フィリピン、ダバオ市で3週目を迎え、

学校に慣れ、人に慣れ、街や建物に慣れ…。

今の私の日常はここにあります。

 

私の場合、1週間も同じ場所にいれば、

どうやらそれを”日常”と感じるようで、

5月にいた場所は、懐かしく、

4月にいた場所は、夢のよう。

3月まで仕事をしていたなんて、

今ではちょっと信じられません。

本当に、中学教師だった自分は存在したのかな??

そんな風にも思ったりしますが、

私の大切な時間たちは、

確実に今の私の中にしっかりと根付いています。

 

ちょっと話がそれてしまいましたが、

要は、人が日常を感じるのは、

その環境に慣れているからで、

環境に慣れるのは、時間の問題だということ。

 

”日常を捨てるのが怖い”

そんな想いで、やりたいことをあきらめるのは

どう考えてももったいない。

自分の想いが向かう場所へ飛び込めば、

そこはあなたの”日常”になります。

 

他人の日常が、自分の日常と違い、驚き、

”私にはできない”

と思うこともあるかもしれませんが、

そこに身を置けば、いつの間にか

日常はちゃんと目の前に落ち着いてくれるのです。

 

勇気をもってはじめの一歩を踏み出した人の

次の一歩は少し楽なはず。

なぜなら、

一歩を踏み出せば、そこに”日常”が生まれる

ということを知っているから。

 

”日常”って不思議です。

でも、それは私たちに与えられた

すばらしい能力の1つなのだと思います。

学び続ける心~ちっぽけなんて存在しない~

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 フィリピンで英語留学中のワクワク夫婦。

嫁のほう、keruです。

 

留学2週目が終わろうとしていますが、

先生方は、みな優しくフレンドリー。

それでいて、みなさん”学ぶ”ということに

それぞれの考えがあり、はっきりとした

ビジョンを持って授業をしてくださいます。

 

担当していただいている先生の中に、

小学校の先生、秘書を経て現在の仕事に

たどり着いた方がいらっしゃいます。

 

彼女によると、フィリピンの小学校は

1クラス60人の7時間授業!

さらに雑務もあり、子供や

教えることは好きだけれども、

手に負えなかったと振り返る彼女。

教師の苦労ポイントは万国共通なのかなぁと

妙に共感してしまいました。

 

授業初日、笑顔でブースに現れた彼女は開口一番

「授業は明日から。今日はお互いを知る日。」

と。

好きなことや家族、仕事のことなど

たくさんの話をしました。

 

その日の最後に、彼女が言ったこと。

”I am a teacher.But I am also a leaner.”

わからないことがあったら

なんでも質問してほしいし、

わからないことがあるのが普通。

私もたくさん知らないことがある。

だから人の話を聞いたり、

アドバイスを受けたりするのが好き。

 

年齢や立場に関係なく、

私たちはどんな人からでも

たくさん学ぶことができます。

それは例えば、教師、生徒という出会ったときの

立ち位置とは関係のないもの。

片方が、もう片方に教えるだけの関係なんて、

実は存在しないのです。

 

とてもシンプルなことですが、

実は忘れがちなこの気持ち。

それをストレートに表現した言葉が

とても気に入りました。

 

私たちはいつだって、影響しあって

生きています。

影響は与えるだけでも、受けるだけでもなく

し合うもの。

 

自分はちっぽけな存在だと思っている人も、

実は必ず誰かに影響を与えている。

だから本当は、誰しもが自分に自信を持ち、

相手を尊敬して生きていける。

 

教えたり、習ったりする立場にない人も、

みな

”I am a teacher.But I am also a leaner.”

です。

 

私も教員時代、子供たちや周りの先生方から

たくさんのことを教えていただきました。

それは、言葉ではなく、感じるもの。

毎日を共に過ごす中で、新しい発見があったり、

漠然とした考えがクリアになったり。

 

自分の心が開いていれば、過ぎてゆく時間の

一瞬、一瞬がまさに学びの連続です。

 

きっと誰しもが、今日もたくさんの人に

影響を与えたに違いありません。

そして、出会ったすべての人から

影響を受けたことでしょう。

 

そこに中に必ずある学びの種を

1つでも多く芽吹かせたいものです。

相手の希望に寄り添う=サービス ~観光産業の発展と、地域還元を考える~

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海外でのダイビング。

海の中では、会話はできないので

それほどこだわらなくてもいいかと思うのですが、

インターネットで申し込む故、結局、

日本語で書かれたダイブショップのページを見つける

→日本人の方が経営しているダイブショップに申し込む

→日本人のインストラクターさんがつく

というパターンがほとんどでした。

 

今回バリでも同様に、

日本語のページを見つけ、そこから申し込みました。

お迎えが来て、手続きのためダイブショップへ。

??日本人がいない??

書類こそ、日本語で書かれたものですが、

すべて現地の方でお送りされていて、

インストラクターさんも現地の方。

 

ポイントへ移動して、周りを見ると、

ダイバーは海外からの観光客であろう人たち。

けれど、インストラクターさんはじめ、

働いているのはすべて地元の方々です。

 

今までと違う珍しい光景ですが、

とても丁寧にガイドをしていただき、

存分に楽しむことができました。

1本目のあと、泳ぎ方のアドバイスまでしてくださって、

スキルアップもできたような(^-^)

 

話はそれましたが…。

その国の発展や雇用を促進するのに、

観光地に他国の企業が入り、開拓していくのは

1つの手段として、よいことだと思います。

(もちろん、環境保全とかいろいろ問題はあるのでしょうが。)

そして、その経営が最終的に現地の方々中心で

行われれば、さらなる発展につながるのかな

と感じました。

 

特にインストラクターは、ダイビングの要です。

日本で生まれ育った人たちの望むサービスは

同じく、日本で生まれ育った人たちが

一番よく分かっている。

それを、現地の人に伝え、実践してもらうのは

きっと多大な労力がかかる上、

うまくいかないことも多いでしょう。

文化の違いを知り、歩み寄る作業は、

想像以上に困難なはずです。

バリの人たちは柔軟で、

比較的容易に、相手の希望に寄り添えるのかもしれません。

 

文化や考え方の違いを乗り越え、

地域雇用が促進することは、

互いの理解を深め、

より一層友好な関係を築ける一歩となる

と言ってしまうと、大げさでしょうか。

自分自身が価値になる ~face to faceの勝負~

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バリに来て一週間。

毎日のんびり過ごしています。

観光をしない日は、海へ出向き、

キレッキレのサーファーを見ながら

浅瀬で、なんちゃってサーフィン。

なんとも優雅な毎日です。

 

連日同じ海へ出かければ、

同じメンバーと顔を合わせます。

彼らはすぐに名前を名乗り、

そして、こちらの名前を聞いてきます。

“わたし、泉ピン子覚えてね。”

“いつまでいるの?”

“お土産買って帰ってね。”

本当に泉ピン子かどうかはさておき、

驚くべきは彼女たちの記憶力と人の良さ。

 

翌日には、

“おはよー!元気?ひとみちゃん。”

“今日は、波が高いよ、ニュームーンだからね。”

“どこに泊まってるの?”

“結構遠いねー。”

(なんにも売る気なしの完全雑談モード…。)

ビーチボーイも、

“今は波が高いから、入らないほうがいいよ。シスター!

夕方おいでよ!”とハイタッチ。

(ちなみに、あなたが朝のほうがいいと言った

ので今日は早起きしたんですけどね…。)

 

もちろん観光客から見れば、みな商魂たくましい。

売り子さんも、マッサージのおばちゃんも

ビーチボーイも、次から次へと声をかけて

来ますが、決して無理な商売はしない。

今日、この瞬間の利益さえあればいい

ということは決してなく、

顔と顔を合わせた商売を楽しんで

いるのがわかります。

 

ビーチで売っているもの、やっていることは

どこも同じ。値段も同じ。

(隙あらば、盛ってきますが。)

要は、競合他社がいっぱいいる状態で

いかに売り上げを上げるか。

 

その答えは、自分のエリアで

気持ちよく過ごしてもらい、

リピーターになってもらったり、

他のお客さんを紹介してもらったり

ということになるのだと思います。

 

笑顔、温かさ、情報、安心、信頼…。

 

それが形になったのが、

知り合いになって、会話を楽しむ、

荷物の管理で信頼を得る、

ほしい情報を提供するということ

なのだと思います。

あそこに行けばピン子に会えるから、

私はピン子のところに行く。

となるためには、相手を思い、一緒に楽しむ。

自分自身が魅力的な人間であり続けることが

大切です。

 

ビーチで働く人たち。

彼女たちは、決してビジネスのノウハウを

教えてもらったわけではないはずです。

けれど、長年の経験や先輩の様子を見て、

工夫、努力し続けた人が生き残っている

のでしょう。

 

結局、自分の利益、自分の得だけ追い求めても

結果はついてこない。

相手を思い、努力を重ね、

自分自身で勝負できる人が生き残るのが

世の常なのだなと感じました。

心を開いて ~自分の望むつながりを作るのは自分~

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インドネシアの観光の中心は

なんといってもバリ島。

そして、首都ジャカルタのある

ジャワ島は治安が悪い、

バリとジャカルタは全然違う

とはよく聞く話。

 

そんな話を散々聞いていたので、

ビビりまくってジャカルタ

降り立ちました。

空港を出たら、客引きがすごいんやろな~…。

と思いながらそろりと外へ。…。

 

気が抜けるほど客引きなんていません。

もちろん“タクシー??”

と声をかけてくる人はいますが、

首を横に振れば、あっそうとばかりに

すぐにどこかへ行ってしまいます。

 

 

??…。思ってたのと違う。

結局タクシーを拾って宿まで行こうとして、

道がわからず、近そうなところで降りて

夜の裏道をうろうろ。

 

後からガイドブックで読むと、

観光客を狙ったスリが横行しているから、

夜は歩かないように、

笑顔で英語で話しかけてくる輩には注意

と書かれていました。

 

誰も声かけてこないし、

英語もあまり通じないんですけど…。

 

 

翌日の市内観光も、

ジョグジャカルタに移動してからも、

とにかく出会う人みないい人。

土産物屋のおじちゃんおばちゃんも

観光地で働く人々も目があえば

“ハロー!○×△…。”

↑きっと、一応の商売的声かけはしているらしい。

と笑顔。それだけ。

 

当然、商売で生活をしているのだから、

声はかけて当然だと思う。

日本でだって、私の小さいころは、

八百屋さん、果物屋さん、豆腐屋さんなどなど、

みんな、声かけて、今日は何がおいしいから、

今日の夕飯は○○にしたらとか言いながら、

活気づく市場が家の近くにありました。

母と一緒に歩いているだけでわくわくした

あの気持ちは、いまだに忘れられません。

 

悪い人、人をだまそうとする人は

どの国にも一定数います。

観光客を狙った悪い人に出会う確率は

当然ながら旅行中のほうがぐんと上がる。

 

けれど、どんな国も、悪い人の割合が

いい人の割合を上回ることはないと

経験上、信じることができます。

 

“いい”“悪い”の価値観は、

国によって若干変わってくるだろうけれど、

人としての優しさや、

相手をもてなそうとする心は

きっと万国共通です。

 

そんな心に触れられるのは、

相手がだますのじゃないかと思いながら

接している人ではなく、

相手との会話や時間を楽しもうとする人。

 

もちろん、いつもと違う場所にいるのだから、

危機管理意識は大切です。

それは、日本だから、異国だからではなく、

いまや、どんな場所にいても持ち合わせるべき

感覚なのではないでしょうか。

 

どんな国にも、地域にも、

その国を愛し、誇りをもって

生きている人がいます。

そんな人たちとの出会いが、

また次の人を信じる心へと

つなげていってくれる。

 

今回、ジャワ島で出会った人たちが、

私にそう確信させてくれました。

 

日常、非日常にかかわらず、

人は人とつながって生きています。

自分がどんなつながりの中で

生きたいか。

 

自分の望むつながりの

スタートは紛れもなく自分自身。

自分がまず心を開き、

温かいつながりを広げていきたいと

感じています。

 

言葉と自信 ~“私は気持ちを伝えられる”という自信~

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“コミュニケーションを楽しめない。”

ここ最近、よく思うことの1つ。

初対面の人とも比較的うまく話し、

人付き合いやおしゃべりは大好きです。

日本では。というか日本語では。

 

“相手の言っていることがわかる。

相手に自分の思いを伝えられる”

という自信があれば、

人はコミュニケーションを

楽しむことができます。

 

一方、

“相手の言うことを理解できないかもしれない。自分の言いたいことは伝わるだろうか”

と思っている人にとっては、

コミュニケーションはどうしたって

気の進まないものになりますよね。

 

母語だろうが、異国の言葉であろうが、それを操れるかどうかは、

それまでの経験によります。

例え母語であっても、

話すのが苦手であれば、

“相手に思いを伝える”ということに

不安が出てくるので、

引っ込み思案になりがちです。

 

内弁慶という言葉があるように、

親しい相手に対しては積極的に

コミュニケーションが取れるのに、

親しくない人に対して上手に関係を築くことができないことがあります。

これはまさに、

分かり合えると思えるかどうかが、

行動に影響を与えているからではないでしょうか。

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“英語でコミュニケーションが取れる。”というのは、

人間関係において1つの自信になります。

もちろん日本に住んでいるから日本語だけで十分と考えることもできます。

しかし、東京オリンピックを控え、

日本国内においても海外からの旅行者や就労者が増えるのは明らか。

道を尋ねられたら、

ともに働くことになったら…。

英語ができるという1点は、

とても大きな自信になるはずです。

 

もちろん、言葉が通じなくても何とかなる場面はたくさんあります。

“言葉を超えたコミュニケーション”

といえば聞こえはいいですが、

やはり限界があります。

 

日常的に心を通わすため、互いに共通して使うことのできる言語は必須であり、

英語は間違いなく世界の共通言語に最も近い言葉です。

 

しかし、現在の日本の学校教育で英語を使いこなすようになれるかというと、

これまた難しい。

 

小学校での英語科が必修となり、

高校までを含めると10年間学習するにも関わらず、

英語に対して自信が持てないのは、

なんだかとてももったいない。

かくいう私も上手に英語を操れない日本人の1人です。

 

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一方、周囲を見渡してみると、

みな流暢に英語を操ります。

“英語が母語でない人も”です。

 

友人同士で話しているときは、

様々な言語が飛び交いますが、

みんなで話をする時には、すぐに英語に切り替えてすらすらと話をするのです。

 

日本の英語教育のゴールはここにあると思います。

母語のようには無理だとしても、

10年あれば、

“相手の言っていることはわかる。

自分の思いはある程度伝えられる”

というレベルにまで高めるのは可能ではないでしょうか。

 

そんなことを思いながら、

この問題を考えるために注目すべく3つの観点をまとめてみました。

 

   母語が英語でなくても、多くの人がネイティブのように話せるのはなぜか。 

→日本人以外で英語が苦手な人もいる。英語教育をしっかりと受けた人が旅行をしているのか

      それとも海外の英語教育が優れているのか。

 

   ネイティブのように話せる人たちは、どのように英語を習得したか。

 

   日本の英語教育に落とし込むためにはどうすればいいか。

 

①、②はとにかくいろんな人に尋ねないと答えは見つかりません。

国によって事情は違うでしょうし、人によって答えも違うはずです。

これから出会う人にできるだけ聞いて、まとめ、自分なりの答えを見つけていきます。

 

英語ができるからといって、すべてがうまくいくわけではありません。

言語は1つの手段であり、それを使って、どこで、何をするかが大切です。

しかし、人は決して1人で何かを成すことはできません。

人と人とがつながり、力を出し合って世界は動いています。

そのための手段は1つでも多く持っていたほうがいい。

“英語”は間違いなく自分のフィールドを広げる大きな大きな武器の1つです。

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